はじめに——「日本で起業する意味」が問われている
2026年5月、日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)が衝撃的な調査結果を発表しました。創業者・経営層1,387人へのアンケートで、97%が2027年から強化される「ミニマムタックス」に反対。「国内で創業するインセンティブが大きくそがれる」と答えたのは74%、「ある程度そがれる」を含めると96%。さらに8割が「税制次第では海外移住を検討する」と回答しました。
僕も起業家の一人として、この数字は他人事ではありません。リクステップを大きくしてIPOやM&Aを成功させた未来を描いたとき、その出口で待っているのが「シンガポール・米国より明らかに不利な税制」だとしたら——多くの起業家が日本を出ていく理由は痛いほど分かります。
でも、僕は日本で勝負します。本記事では、ミニマムタックス強化の中身、日本の起業家がいま置かれている現在地、そしてそれでも日本に張る理由を、起業家としての本音で語ります。
ミニマムタックス強化の中身——3.4億円超で追加課税
ミニマムタックス(高額所得者への追加課税)は2023年度に導入された制度です。合計所得が1億円を超えると、株式譲渡益などの分離課税のおかげで実質的な所得税負担率が下がっていく——いわゆる「1億円の壁」を是正する狙いで設計されました。
2027年からは、この制度がさらに厳しくなります。
改正前(現行) vs 改正後(2027年〜)
控除額
- 改正前
- 3.3億円
- 改正後
- 1.65億円(半分に縮小)
追加課税率
- 改正前
- 22.5%
- 改正後
- 30%
譲渡益20億円の場合の追加税
- 改正前
- 約3.8億円
- 改正後
- 約5.5億円(+1.7億円)
課税が発生する譲渡益の目安
- 改正前
- —
- 改正後
- 3.4億円超で追加課税
出典:日本経済新聞「創業者利益に課税、来年強化『国内起業意欲そぐ』9割」(2026年5月17日朝刊)/マクサス・コーポレートアドバイザリー試算
スタートアップの創業者は、IPOやM&Aで売り手となるときに、保有する自社株を一気に売却して対価を得ます。特にM&Aは「一括売却」が一般的で、譲渡益が3.4億円を超えやすい。事業を成功させた瞬間に、国に大きく税で持っていかれる仕組みです。
世界比較——シンガポール・香港0%、米国20%、日本は…
日本の創業者税制が「日本で起業するインセンティブをそぐ」と言われる理由を、世界と比べて見てみます。
主要国・地域のキャピタルゲイン課税
🇸🇬 シンガポール
- 課税
- 0%
- 意味
- キャピタルゲイン課税なし。出口で全額手元に残る
🇭🇰 香港
- 課税
- 0%
- 意味
- 同上
🇺🇸 米国
- 課税
- 最大20%(連邦税)
- 意味
- QSBS(適格小規模企業株式)なら最大1,000万ドルまで非課税
🇯🇵 日本(現行)
- 課税
- 20.315%+ミニマム税最大22.5%
- 意味
- 3.3億円超で追加課税
🇯🇵 日本(2027〜)
- 課税
- 20.315%+ミニマム税30%
- 意味
- 1.65億円超で追加課税。世界最重水準
数字だけ見れば、日本で勝負する理由はどこにもありません。シンガポールに会社を作って勝てば、出口でゼロ課税。日本で同じ規模の事業を成功させた場合、3〜5億円が国に流れる——この差は、起業家にとっては「人生の差」です。8割が海外移住を検討するのも当然です。
世界は優秀な人材を「税で奪い合っている」——日本だけが逆走している
ここで強調したいのは、世界の主要国・地域は優秀な起業家・人材を「税で奪い合っている」という事実です。各国は政策として明確に「優秀な人材を呼び込む」方向に舵を切っているのに、日本だけが真逆の「創業者追い出し政策」を打っている。これがいま起きていることです。
世界の「人材呼び込み」政策の例
- シンガポール:キャピタルゲイン課税0%+テックパス(Tech.Pass)で世界トップクラスのテック人材を年間500人受け入れ。法人税17%・GIP制度で高額納税者には永住権も。「世界の起業家、シンガポールに来てください」と国が明示している。
- 香港:キャピタルゲイン非課税・法人税最大16.5%。Top Talent Pass Scheme(高才通)で年収250万香港ドル以上の人材に2年ビザ即発行。
- UAE(ドバイ):個人所得税0%・キャピタルゲイン0%。Golden Visa(10年)でテック起業家・投資家を大量誘致。
- ポルトガル:D7・D8(デジタルノマド)ビザで欧州在住の道筋を提供。元NHR制度では一定の所得が10年間軽課税だった。
- 米国:QSBS制度——適格小規模企業株式の譲渡益が最大1,000万ドル(約15億円)まで非課税。「スタートアップで成功した人を国として全力で報いる」設計。
- 英国:SEIS/EIS——スタートアップへの投資額の最大50%が所得税から控除。出口でも譲渡益非課税。投資家と起業家の両方にインセンティブ設計。
つまり世界は、「リスクを取って事業を起こし、成功した人」を国として全力で歓迎している。なぜか?それが国の成長エンジンだからです。優秀な起業家を1人受け入れれば、その人が作る会社が雇用を生み、納税を生み、次世代の起業家を育てる。それを20年続けたのがシンガポールであり、米国シリコンバレーです。
一方の日本は、世界と真逆を行っています。「成功した創業者から、より多くの税を取る」方向に舵を切った。これは「成功者から税を取る」という意味では一見正しく見える。でも、起業家視点で見ると「成功するな」「もし成功するなら日本から出ろ」というメッセージに他なりません。
「優秀な人材ほど動ける」——だから真逆の政策は致命傷になる
起業家・テック人材の特徴は、「場所を選ばない」ことです。リモートで仕事ができ、英語が話せる、会社の登記もシンガポールでできる——そんな人材から見れば、税率が10%違えば移住の合理性は十分にある。実際、JVCA調査で8割が海外移住を検討と答えたのは、それが現実的な選択肢だからです。
裏を返せば、残されるのは「移住できない人」だけになる。優秀な起業家ほど海外に流出し、日本のスタートアップエコシステムは枯れていく。これは10年後・20年後の日本の成長率に直接影響する話です。「1億円の壁」を埋めるために、もっと大きな「未来の税収」を失う——この本末転倒に、政策決定者は気付いているのでしょうか。
一企業家として言わせてください。このままでは日本は「成功者を作らない国」になる。世界が優秀な人材を奪い合っている今、日本は逆方向に走っている。これは方針として、明らかに間違っています。
日本の起業家の現在地——三重苦の中で戦っている
ミニマムタックス強化は、日本の起業家にとって「三重苦」の一つにすぎません。
苦境 ①
IPOの難易度上昇
2025年から東証グロース市場の上場維持基準が厳格化。時価総額・流動性のハードルが上がり、上場後に脱落するリスクも増えた。出口戦略としてのIPOの確度が下がっている。
苦境 ②
M&Aに課税の集中砲火
IPOが難しいぶん、M&Aの重要性が増している。M&Aは「一括売却」が多いため、ミニマム課税の影響を最も受けやすい。出口の主役が、税制で叩かれる構図に。
苦境 ③
ストックオプションも複雑
優秀な人材を引き寄せる武器であるストックオプションも、税制・付与要件が米国に比べて使いにくい。「初期メンバーに報いる仕組み」が機能しづらい。
つまり日本の起業家は、「IPOしづらい・M&Aは税で叩かれる・人を引き寄せる手段も使いづらい」という三重苦の中で戦っています。シンガポールに移住するのが「合理的な判断」と言われても反論しづらいのが現状です。
それでも僕は、日本で勝負する
数字の上では、日本で起業する合理性は失われつつあります。それでも僕は、日本でリクステップを大きくしたい。理由は3つあります。
理由①:解くべき課題が、目の前にある
日本の中小企業は毎日、本気で困っています。カード手数料3.25%が利益を食い潰し、人手不足で現場が回らず、紙とExcelで業務が止まる。シンガポールに移住しても、この課題は解けません。解くべき課題があるのは日本で、解けるのは日本にいる起業家だけです。税の話より、目の前の課題の方が、僕には重い。
理由②:日本の中小企業は世界一優秀。武器を持たせれば化ける
シリコンバレーで世界中のスタートアップを見てきましたが、日本の現場のオペレーション能力・品質意識・誠実さは間違いなく世界トップクラスです。足りていないのは「テクノロジーという武器」だけ。AI×DX、ステーブルコイン、業界特化SaaS——これらの武器を中小企業に届ければ、日本企業は驚くほど化けます。この景色を見たい。
理由③:税で勝つより、事業で勝ちたい
「シンガポールに行けば税ゼロ」は確かに魅力的です。でも、税の最適化で人生を決めるのは、起業家のやり方じゃないと思っています。税制が不利でも勝てる事業をつくる——それが起業家の本来の戦い方のはずです。日本で勝てば、後続の起業家にとっての「証明」になる。それが僕がやるべきこと。
政策への提言——「出口で叩く」のではなく「入口を広げる」べき
ただし、起業家として政策に注文がないわけではありません。今回のミニマムタックス強化は、政策思想として明確に間違っていると思います。
「1億円の壁」を埋める理屈は理解できます。でも、その対象を「事業を成功させた創業者」に絞り撃ちするのは、政策として下手すぎる。創業者の出口で取れる税は、その人がIPO/M&Aに成功した時にだけ発生する一回限りの利益です。これを叩けば、起業家は二つの選択肢を取ります——①海外移住する、②そもそも日本で起業しない。どちらも国にとってマイナスです。
本来やるべきは逆で、起業家の入口を広げる政策です。米国のQSBS制度(適格小規模企業株式の譲渡益最大1,000万ドル非課税)のように、「リスクを取って起業し、成功した人は報われる」設計こそ、新陳代謝を生みます。今のままだと、日本のスタートアップエコシステムは「成功者を作らない仕組み」になってしまう。
JVCAやスタートアップ業界が声を上げ続ける必要があります。僕も一起業家として、可能な限り発信し続けます。
結論——日本で勝って、後続に道をつくる
ミニマムタックス強化は、日本の起業家にとって明確な逆風です。海外移住を検討する8割の判断を、僕は批判しません。合理的だからです。
でも、誰かが日本に残って勝たないと、日本のスタートアップエコシステムは終わります。「日本でもこのレベルまで行ける」という証明を作るのが、僕がリクステップでやることです。AI×DX、SaaS、ステーブルコイン、現場AI——使う技術は何でもいい。日本の中小企業の課題を解いて、勝つ。
税制が不利でも勝てる事業をつくる。それが、僕がいま日本でやるべき仕事です。

Author
柴 悠介
株式会社リクステップ CEO / K-Drive株式会社 CTO(最高技術責任者)。シリコンバレーでAI開発エンジニアとして従事した後、日本に帰国。健康経営×AIの領域で、5,174社以上のサポートを支えるシステム基盤の設計・開発を主導。
